潮は、記憶を運んでくる
ー揺らぎの中にある記憶を辿る旅〜
夜の海を見ていると、時々、不思議な感覚になる事があります。
潮の流れは、
ただ海水を運んでいるだけではない。
そこには、
もっと古い“記憶”のようなものが
混ざっている気がするのです。
古代の海洋民族は、
海を「境界」としてではなく、
“道”として見ていた。
潮の流れ、
星の位置、
風の向き、
黒潮。
それらを読みながら、
人々は島から島へ渡っていった。
そして、
その旅の中で残されたものが、
唄であり、
御嶽であり、
神話であり、
祭祀だったのかもしれません。
沖縄の御嶽を見ていると、
そこだけが“聖地”だったとは思えない時があります。
背後の海、
山、
崖、
水場、
港、
潮流、
風の通り道。
それらすべてを含めた、
“空間そのもの”を、海人達は祈っていたようにも感じるのです。
海洋民族にとって世界とは、
“土地”ではなく、
潮の流れそのものだったのではないだろうか。
またそれは、
人の流れ、
船の流れ、まれびと、
魂の流れ。
だからこそ、
漂着神やニライカナイの感覚も、
単なる伝説ではなく。
「海の向こうから、何かがやって来る」
という、もっと深い感覚だったのかもしれません。
与那国島の自分の一族が、先祖代々守り続けて来た古い祭祀(マチリ)を見ていると、そこには今でも海と繋がり続けているような空気感と雰囲気があります。
ガジュマルの御嶽、
夜の祈り、
火、
先祖達が生きた土地、
風に揺れる草。
それは、
“昔の文化”というより。
海の記憶そのものが、
まだ静かにそこで息をしている感覚に近いものです。
現代は、
情報で溢れている時代です。
けれど、
本当に大切なものは時々、
静かな揺らぎの中にふと現れる。
それは波の音のように。
火のゆらめきのように。
夜の海のように。
思考ではなく、
感覚として。
だから最近は、海を想像しながら、そんな“記憶の流れ”を辿っています。
もしかすると…
私たち自身もまた。
遠い海の記憶の続きを、
今も生きているのかもしれません。
海は、境界ではなく。
記憶を運ぶ道であり、循環装置だったのかもしれない。
波の音に聞こえているものは、
もしかしたら、遠い昔に生きていた先祖達の囁きなのかも知れない。
※今年一月に与那国島で行われた、自分の一族が先祖代々守り続けてきた、神事ンダンマチリに参加して来た時の様子と、おばあちゃんの時代のマチリの様子の写真で作った動画のリンク置いておきます。
🔻🔻🔻
https://www.instagram.com/reel/DT77VZWgees/?igsh=a2E2b2M3YWV5Ymls


