沖縄の旧盆には、ウークイと呼ばれる、祖先を見送る夜がある。
旧暦七月十三日から十五日までの三日間、初日のウンケーで祖先を家へ迎え、真ん中のナカヌヒーを家族や親戚とともに過ごし、最終日のウークイで、再びグソーへ送り出す。「御送り」という意味だ。
そのウークイの夜、祖先を見送るために燃やされるものが、ウチカビである。
黄土色の紙に銭の形が打ちつけられた紙銭で、「あの世のお金」と呼ばれている。祖先がグソーでお金に困らないように。
いわば、この世の家族からあの世で暮らす家族への仕送りだ。
自分にとってウチカビは、ただの「あの世のお金」ではなかった。
ウークイの夜、親戚みんなで一つの火を囲んで、ウチカビを燃やしていたのは、従姉妹の中でいちばん年上のおばちゃんだった。
おばちゃんは、黄色い紙を一枚ずつ火へ入れながら、炎の向こうにいる誰かへ話しかけるように、優しい声で毎年こう言っていた。
「また来年も会おうね〜」
ウチカビに火が移り、ゆっくりと燃え、やがて紙は形を失って、煙となって夜空へと上っていく。
あの頃の自分には、その火や煙を通して、こちらと向こうがつながっているように感じられた。
それはただ紙を燃やしているのではなく、おばちゃんの言葉も、親戚みんなの思いも、火と煙に乗って向こうへ届いている。
そんな感覚が、確かにそこにはあったのだ。
なぜ祖先へお金を送るのか。
そのお金は、なぜ火で燃やさなければならないのか。
ウチカビを辿っていくと、海を渡ってきた紙銭の文化と、亡くなった後も家族の暮らしは続いていくと考えてきた、琉球の死生観が見えてくる。
なぜ「打ち紙」と呼ぶのか
ウチカビは、漢字で「打ち紙」と書く。
かつては紙を何枚も重ね、その上から銭の形をした型を打ちつけて作っていた。
紙に銭形を打つ、そこから「打ち紙」と呼ばれるようになったという。現在使われているウチカビにも、いくつもの丸い銭形が並んでいる。
昔は工場で大量に作られていたわけではなく、それぞれの家庭で藁などを原料に紙をすき、銭形を打って作っていたそうだ。
家族が自分たちの手で紙を作り、祖先へ送るお金を用意する。ウチカビは、最初から店で買うためのものではなかった。
もともとは祖先を思いながら、各家庭の中で作られてきたものだ。
旧盆だけでなく、シーミーや法事など、祖先へ手を合わせるさまざまな場でも用いられてきた。
亡くなったら、すべてが終わるわけではない。姿は見えなくなっても、祖先はグソー(あの世)で暮らし続けている。だから食べ物を供え、お酒を用意し、お金も送る。
ウチカビの習慣からは、あの世を遠く離れた別世界としてではなく、こちらの暮らしの続きとして捉えてきた感覚が見えてくる。
海を渡ってきた紙銭
祖先のために紙のお金を燃やす習慣は、もともと中国の紙銭や冥銭の文化に由来すると考えられている。
中国や台湾、香港をはじめ、東アジアのさまざまな地域に、亡くなった人があの世で使うためのお金や品物を紙で作って燃やす習慣がある。
台湾などでは、お金だけでなく、家や車、衣服、故人への手紙まで紙で作り、燃やして届けることもあるそうだ。生前に欲しがっていたものを送ることもあるという。
そこにあるのは、死者を過去の人として閉じ込めるのではなく、今もどこかで暮らしている家族として思う感覚なのだろう。
琉球へこの習慣が伝わった経路は、一つに定めることはできない。十四世紀末、福建から琉球へ渡り、久米村に住んだ人々が伝えた可能性もあれば、逆に中国へ渡った琉球人が現地で紙銭の習慣を目にし、持ち帰った可能性も考えられている。
琉球と中国の間を人や物が往来する中で、祖先へ紙のお金を送る文化もまた、海を渡ってきたのだろう。
十八世紀の琉球士族の生活や儀礼を記した『四本堂家礼』には、シーミー(お墓参り)の際に紙銭を用意したことが記されている。
当初は久米村や首里の士族を中心に行われ、明治以降になると、次第に一般の家庭へも広がっていったとされる。中国から渡ってきた文化が、琉球の祖先祭祀の中へ取り込まれ、沖縄の家庭行事として根づいていったのである。
燃やすことで届く
ウチカビは、仏壇に供えておくだけでは祖先へ届かない。火をつけ、燃やすことで、グソー(あの世)へ送られる。
この世にある紙のままでは、向こうで使うことができない。火を通し、煙へと姿を変えることで、祖先が受け取れるものになる。
火は、ウチカビを消しているのではない。
こちらにあるものを、向こうへ届く形へ変えている。そう考えると、ウークイの火が、ただ物を燃やすための火ではなかったことが分かる。
親戚みんなが火を囲み、祖先の名前を呼び、近況を話し、感謝を伝える。
「向こうでも元気でね」
「お金に困らないようにね」
「また来年も帰ってきてね」
言葉と一緒にウチカビを燃やすことで、火はこの世とあの世の間に道をつくる。
煙は、目には見えない向こう側へ、家族の思いを運んでいく。
自分が感じていた「火や煙を通してつながっている」という感覚は、きっとそこから生まれていたのだと思う。
暮らしの続きにある、あの世
ウチカビが「あの世のお金」であることを初めて聞いた人は、不思議に感じるかもしれない。
あの世でも、お金が必要なのか。死んだ後にも、暮らしがあるのか。
けれど沖縄の祖先祭祀の中では、祖先は記憶の中だけに存在しているのではなく、旧盆になれば家へ帰ってくる。
家族と同じ料理を食べ、酒を飲み、三日間をともに過ごす。
そしてウークイになると、家族に見送られながらグソーへ帰っていく。だから、帰りにはお金を持たせる。
それは、生きている家族が遠くで暮らす家族へ、食べ物やお金を持たせることと、それほど遠くない感覚なのかもしれない。
亡くなった後も、家族であることは変わらない。会えなくなっても、関係が途切れるわけではない。
ウチカビには、そんな家族の関係が形になって表れている。
旧盆は、祖先を思い出すためだけの行事ではない。
祖先を家へ迎え、同じ時間を過ごし、再び送り出す。
人と祖先との関係を、毎年もう一度結び直すための時間でもある。
「また来年も会おうね」
ウークイは、祖先を送り出す日だ。
けれど、それは永遠の別れではない。来年の旧盆になれば、祖先はまた家へ帰ってくる。
だから、おばちゃんは火へ向かって言った。
「また来年も会おうね〜」
そこに悲しさはなく、長い旅へ出る家族を見送るような、優しさがあった。
ウチカビの火が小さくなり、煙が夜空へ消えていく、その煙の向こうに祖先がいて、おばちゃんの声を聞いている。
あの頃の自分には、本当にそう感じられた。
ウチカビは、あの世へ送るお金である。けれど、火を囲んでいた自分たちにとっては、それだけではなかった。
炎の向こうにいる家族へ言葉を届けるもの。
姿の見えない祖先と、今を生きる親戚をつなぐもの。
そして、来年の再会を約束するものだった。
ウチカビの煙は、別れを知らせる煙ではない。
「また来年も会おうね〜」
その言葉を、この世からあの世へ運ぶ煙なのだと思う。



