海の向こうに残る記憶 Vol.4
「七」は、海を渡ってきたのだろうか。
前回、私は琉球に繰り返し現れる「七」という数字を辿りました。
七世生神。
一つひとつを調べながら、私の中には一つの問いが残りました。
なぜ、これほどまでに「七」が繰り返されるのだろう。
その答えを探そうと資料を読み進めているうちに、私の視線は自然と海の向こうへ向かっていました。
海は、人だけではなく文化も運ぶ。
琉球は古くから、中国や福建、朝鮮、日本、東南アジアと海でつながってきました。
海を渡ったのは、陶磁器や織物だけではありません。
言葉。
暦。
祈り。
唄。
そして、人々の世界の見方もまた、海を越えてきました。
だから私は思います。
「七」という数字もまた、この海の道を渡ってきた文化の一つだったのではないでしょうか。
もちろん、それを断言することはできません。
でも、そんな想像をしたくなるほど、海は多くの文化を運んできました。
海には時計がない。
海で生きる人々は、時計を見て航海をしていたわけではありません。
空を見上げ、
月を見て、
風を読み、
潮を読み、
星を頼りに進みます。
時間は、時計ではなく自然が教えてくれるものでした。
だから沖縄では今も旧暦が大切にされ、多くの祭りや祭祀は月の満ち欠けに合わせて行われています。
自然の流れに寄り添うこと。
それは、海で生きる人々にとって、ごく当たり前の暮らしだったのかもしれません。
沖縄で育ち、与那国島で気づいたこと
私は沖縄で生まれ育ちました。
子どもの頃から、シーミーがありました。
旧盆には祖先を迎え、
ウチカビを焚き、
エイサーが町を練り歩く道ジュネー。
集落の御嶽へ向かい、静かに手を合わせる人たちの姿も、ごく当たり前の風景でした。
大切なことがあると、
「おじぃ、おばぁ、見守っててね。」
そんな言葉を自然と心のなかで語りかけるような環境で私は育ちました。
でも、その意味を深く考えたことはありませんでした。
与那国島へ通い、マチリに参加し、一族が祈りを守り続ける姿に触れたとき、初めて気づいたのです。
沖縄で当たり前だったあの風景は、祖先と今も心を通わせながら暮らす文化だったのではないか、と。
「七」を追いかけていたはずなのに
今回、私は「七」という数字を追いかけていました。
でも、その考えや想像をする中で、気になるものが少しずつ変わっていきました。
数字から時間へ。
時間から海へ。
海から暮らしへ。
そして最後に残ったのは、人と祖先と故郷とのつながりでした。
祖先は、毎年の神事や祭祀に合わせて帰ってくる。
島を離れた人達も、その時期になると故郷へ帰ってくる。
昔なら、船で旅立った人も帰ってきたのでしょう。
だから人々は、祭りを続け、御嶽を守り、芸能を受け継いできたのかもしれません。
それは、過去を保存するためだけではなく、帰ってくる人たちとのつながりを絶やさない為だったのではないでしょうか。
もちろん、これは私自身の考察です。
でも、一つの問いを追いかけていると、思いもよらない場所へたどり着くことがあります。
それが、この話しの面白さでもあります。
海の向こうに残る記憶
「七」という数字を調べていたはずなのに、私が最後に出会ったのは、一つの数字だけではありませんでした。
「七」を追う中で触れたもの、それは、この土地で生きてきた人々の暮らしでした。
風に耳を澄ませること。
潮を読むこと。
祖先を迎えること。
故郷へ帰ること。
その一つひとつが、この土地に積み重ねられてきた時間なのだと思います。
私は今、「七」の答えを見つけたとは思っていません。
でも、「七」という問いをきっかけに、この土地の記憶と少しだけ再接続できたような気がしています。
そして、きっと海の向こうには、まだ私の知らない記憶が静かに残っているのでしょう。
問いの旅は、これからも続きます。


